こんなことが起こるなんて!
わが身が永らえている間に、まさか原発が爆発する事故に遭遇するなんてことは思いもよらなかった。そして、100余年に一度のパンデミックを体験しようとは。あまつさえ第三次世界大戦の火薬庫になろうかと杞憂される戦争を目の前にしようとは。
まさに、眼前で進行中のロシア大統領プーチンが引き起こした戦争である。世界大戦の勃発から80余年、かつての日本の中国侵略と同じように「宣戦布告」をしていないから、「特別軍事作戦」と称しているが、ロシア国軍などがウクライナ共和国に軍事侵略して、たくさんの人を殺し、手当たり次第、建物、器物、文化を破壊している。
1931年、日本軍が自衛戦争、事変と称して中国大陸を荒らして廻り、次第に南下しながら、15年の間にアジア・太平洋各国で2000万人以上の死者を出した記憶は耐え難い。
1939年、ヒトラーがポーランドに軍事侵攻して第二次世界大戦の火蓋が切られたが、まさにそのことが目の前で再現していることに驚く。話では聞いたことがある。本で読んだことではある。歴史というのは起伏、禍福を折り込みながら連綿と継続しているのだ、と改めて思う。
まだ、真偽・詳細は明らかではないが、ロシア軍がウクライナの人びとをロシア国内に強制連行していると報道されている。ナチス収容所、シベリア捕虜収容所の再来でなければいいが。
第一次世界大戦の手痛い教訓から、国際社会は「戦争違法化」の方向を選んだのではないか。
プーチン戦争の原因論、来たった事態の歴史的経過などの研究は後日のことにしたい。「どっちもどっち論」「武力が平和を保障する」。ましてや、戦争賛美論者が陶酔する「祖国のために流す血は尊い」に煽られるのは願い下げだ。
戦況、停戦交渉の様相、各国の動向は刻々と変化していく。プーチン大統領を経済制裁などを持って批判し、国際社会がその反人類的な暴挙を押し止める動きは正しい。ロシア・ウクライナ当事者間の和平交渉によって、停戦に至ることを切に願っている。仮に古来の停戦条件の定石である強者に妥協しての「国土分割」に終わってもである。国土と文化は、占領者に対する「不断の平和の抵抗」で回復できるだろうが、死者と集団的嫌悪・個人レベルの怨念は取り戻し難い。
1945年以降、敗戦によって生じた雌伏の忍苦から解き放たれることを悲願とする勢力、旧帝国憲法の国家・社会・家族の有り様として理想をする人びと、火薬や砲弾、武器を自由に製造・販売できないという桎梏から解放され、兵器産業が活性化することを待ち望んでいる軍事企業がいるのだろう。
武力には武力で対抗することを国是とすることで、80余年ぶりの軍人権力・治安警察の復権を望んでいるのか。中国・台湾有事、北朝鮮の事態を利用して、まずは手始めに「緊急事態法」を手に入れて、その筋道をたどって行って憲法停止状況下での「戒厳令」の発動での投了ということになるのか。
「敵基地攻撃能力」を保有し、実行すべきだという主張が、宣戦布告なき戦争行為であることは、2手3手先を読む習慣が身についていれば、あきらかではないか。いや、軍事行動が国威発揚の契機になり、日本人と日本経済を奮起させ、世界に冠たる位置を奪還できれば「その後のことはどうにでもなる」。こうした大言壮語の無責任な論調に惑わされないことが肝要である。
安倍元首相が、どさくさに便乗して日本を地獄に引き込む「核シェアリング(核兵器の共有・管理・運搬)のアドバルンを揚げた。さすがに自民党の議員の間でも「賛同の声」が彷彿とはいかなかったようだが、核兵器の使用によって引き起こされる惨状を知っていて、この発言をしているのか。力に対して力の対抗しか想定できない単純思考に引きずられてはならない。
3月23日、日本の国会でゼレンスキー大統領の演説があった。山東昭子参議院議長の返礼の弁には呆れた。「貴国の人々が命をも省みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております」とスピーチした。国のために命を投げ出すのを称賛する自己犠牲を強いる思想は願い下げだ。今こそ、歴史から学ぶ必要がある。
近年、出版協が感度よく、さまざまな事態に批判、提言を出していることをとても重要だと思っている。
憲法研究者の志田陽子氏曰く。「声明、決議、法などの【言葉】には、ルールを破った者に追随する者が出てくることを防ぐ効果がある」『あのときはこんな事件が起きた、しかしこれを許して受け入れる者はいなかった』、と言える歴史を、今、作っておく責任が、私たち同時代人にはある」(論座電子版3月7日)。同感である。この歴史の記録と批判の継承が出版に関わる者に課せられた社会的任務だろう。
出版協理事 上野良治(合同出版)
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